企 業 方 針
経営とは最小限会社をつぶさないこと 将来に生き残ることだ
会社をつぶしてくださるのも、生かしてくださるのもすべて顧客様次第だ
生き残るためには何が何でも顧客様に貢献しなければならず、顧客様に合わせて我が社を革新していかなければならない
利益とは会社をつぶさない為の費用だ 会社存続費である
利益を獲得できない会社はつぶれざるを得ない
経営とは「仕事顧客」の数を大きくすることを通じて、皆が今よりも良い生活、良い暮らしを実現していくことであり、
その基盤である会社をつぶすことなく永続させることである。
その為には
一 会社は絶対につぶしてはならない
二 会社は絶対に顧客様に貢献しなければならない
三 会社は絶対に利益をえなけらばならない
社 是
一 信頼
われわれの力でやり遂げよう
努力実行、これが最良の味方である
二 よりよい品質
レベルアップしよう
良い仕事、良き技術、品質保証で信頼に値する会社
三 みんなのために
コストダウンしよう
新しい制度を恐れずに難しい仕事に取り組もう
これが体質改善の第一歩である
会 社 沿 革
- 昭和20年
- 菊地敏夫が岩手県大東町国民学校高等科を卒業
- 昭和21年4月~25年3月
- 菊地敏夫が岩手県大東町の千葉養入郎氏に師事、後に左官技術を取得
- 昭和25年2月
- 釧路市において菊地左官工業所を設立
- 昭和28年4月
- 札幌市北区北30条西5丁目に転出
- 昭和37年
- 株式会社菊地左官工業所に改組
菊地敏夫が代表取締役に就任
資本金100万円 - 昭和43年
- 資本金200万円に増資
- 昭和45年
- 資本金300万円に増資
- 昭和45年
- 資本金420万円に増資
- 昭和46年
- 資本金500万円に増資
- 昭和48年
- 丸敏菊地工業株式会社に商号変更
- 昭和49年
- 資本金1,050万円に増資
- 平成15年3月15日
- 菊地敏夫が取締役会長に就任
菊地文彦が代表取締役に就任 - 令和5年6月1日
- 菊地文彦が代表取締役会長に就任
菊地文哉が代表取締役社長に就任